タラの丘の物語
タラの丘----。それは4000年を超えるアイルランドの歴史を通じ、繁栄の時にも苦難 の時にも、ケルト民族の血を引く人々が立ち帰るべき神聖な場所。ケルトの歴史の始 まりにトゥハ・デ・ダナンの神々が、この丘からアイルランド全土を統べ治めたと言 い伝えられます。そして神話や伝説を裏付けるような遺跡やモニュメントの数々が、 ダブリンの北西約35kmの位置になだらかに広がるタラの丘とその周辺から発掘されて います。

世襲の王朝をあえて持たなかった古代ケルト人は、各地方ごとに豪族達の中から王を 立て、さらにその中から部族連合の代表者としての人望と徳を備えた者を、王の中の 王、上王(ハイ・キング)として選び出しました。伝説によれば、神秘的な幾つかの しるしが、選ばれし真の王者を人々の前で指し示したと言われます。王にふさわしい 者が触れた時だけ雄叫びを上げる運命の石、選ばれた者の夢にのみ現れる牡牛な ど…。その奇蹟の場所がタラの丘であり、タラの丘で選ばれた上王はケルトの神々に 愛された特別の者としての威厳をもって「タラの王」と呼ばれたのです。
いにしえのタラの丘は、政治と宗教儀式の中心地であると同時に、祝祭の都でもあり ました。歴代のタラの王はこの地で定期的に大市を開き、大宴会を催しました。政治 や裁判のためばかりか、商売取引や娯楽のために、また学びや癒しのためにも、あら ゆる身分、さまざまな職業の人々がアイルランド全土から、そして海を渡って外国か らも、タラの丘に集まって来たのです。そのためにタラの丘を中心に古代ケルトの道 が作られ、旅人を丁重にもてなす伝統がアイルランドには根づいたとも言え、タラの 丘は文字どおりアイルランドのハート----中心であり、心の拠り所となったのです。
<ザ・ヒル・オブ・タラ>は、人々が集まる交流の場、文化を語り合い、安らぎを得 る拠り所として、日本の古都、京都にオープンしたアイリッシュパブです。日本古来 の伝統を重んじる京都はまた、内外を問わない大勢の旅人が訪れる国際都市。<ザ・ ヒル・オブ・タラ>は、京都っ子はもちろん、日本全国、世界各地からの旅人をお迎 えし、アイルランド流の時の過ごし方を味わっていただきたいと念願します。古代ア イルランドのタラの丘のように、<ザ・ヒル・オブ・タラ>には人々が集まる道がで き、道のひとつは遥かアイルランドとつながり、互いの文化と価値観を学び合いた い----。そんな願いをこめて<ザ・ヒル・オブ・タラ>は生まれました。
「ザ・タラ・ブローチ」 タラの丘に近いベティズタウンで1850年に
発掘された。8世紀頃のものと思われる。ガラス七宝や琥珀が使用され、ケルト美術
の特徴である精緻な組紐柄や渦巻紋が、銀めっきの線条細工で全体に施されている。